浪人を通じて学んだことと受験生に活かしてほしいこと
昨日の夜から始めたブログにも関わらず、半日で50件近くのアクセスがあり、こんな文章でも読んでくれる人がいるんだなぁと謎な責任感が芽生え始めていますが、、
今回は自分なりに努力を重ねて成績を伸ばした自分がこれから受験を迎える受験生に伝えたいこと話します。
それは夢は諦めないでほしいということ。
人生は一度しかないんです。
やるなら徹底的に夢を追ってほしい。
現役の時の僕みたいに既に浪人が決まっている人もいるかもしれません。
もしくは前期の直前でもう緊張しちゃっている人もいるかもしれない。
色んな人がいることと思いますが共通して言えることはその叶えたい夢のために全力を尽くしていますか?ってことです。
何かを得るためには何かを捨てないといけない
ってのはよく言われることですけど真理だと思っています。
僕は医者になりたいって夢を叶えるために
娯楽は全て捨てて勉強し続けました。
1番やった時期は15時間勉強を2ヶ月くらい続けました。さすがに体調壊して辞めましたが。
そのくらいの気持ちで受験に向き合ってほしい。
それでダメだったら諦めがつくと思うんです。
そしてそこまで頑張れた自分に自信が持てると思うんです。
一浪目が終わった時、周りの人はよく頑張ったね。
結果より過程が大事だよと慰めてくれました。
確かに何にも努力をしていない人に比べれば頑張った過程がある方がこれからの人生でも頑張れることの証明かもしれません。
でも、結果は医学部ではありません。
わかりますか?
どれだけ泣きながら努力を重ねても、医学部に行きたいと願っても、結果を出さなきゃ医大生にはなれないのです。
かなり厳しい受験の現実です。
じゃあどうするか、、
無駄な努力をしないこと。これに尽きます
勉強法は色々と考え方はありますが
例えば、、
授業の板書を何も考えず写すだけとか
模試の後に分析をしないとかがあげられると思います。
模試のあとに復習しなかったり、授業中に黒板の文字をノートに写すだけという時間は正直時間の無駄です。
あとは基礎を蔑ろにして、難し目な問題ばかり解いてるだとか
あげればキリがありません。
次回は基礎がいかに重要かについて。
何故、色々な先生が基礎は大事だよと言っておきながら基礎って何か教えてくれないかについて書きます。
厳しめな話をしましたが、これが現実だと思います。
ではまた。
二浪目、そして国立医学部合格まで
今回は一浪目の受験翌日から二浪し
合格するまでの物語を記事にします。
例のごとく、受験の翌日には予備校の自習室にいました。この、ほとんど誰もいない自習室で毎日12時間以上勉強している時期が1番本当に辛かったです。
そしてコロナが流行し、予備校のスタートが2ヶ月ほど遅れました。
オススメ勉強法でも紹介する予定ですが携帯のタイムラプス機能を使い、自分の1日の成果を最後に確認していました。
毎日夜中「友達はみんな大学生で楽しそうなのに自分はなにやってんだろ。」と
泣きながら勉強を続けるのです。
今考えるとかなりメンタルやられてたんだなぁと思いますが
当時は毎日勉強することが当たり前みたいになっていましたし、こんな状況で友達と遊んでも
心の底から楽しめないなと思い、遊びの誘いも全部断っていました。
そんなこんなで6月から始まった予備校生活。
僕が一浪目と変えた最大の点は
不要だと感じたものは迷いなく捨てることです。
一浪目は何でもかんでもやろうとしてキャパ以上のことをしようとし、訳がわからなくなって失敗しました。その反省を活かして、まず比較的得意になった理科や社会の授業を取らず、午後をフルで自習に使えるようにしたことです。
また、割と初期の段階から講師の方に添削をお願いし、自分の癖(必要な文章を省略するなど)を徹底的に洗い出しました。
予備校の授業って当たり前ですが二浪生のために作られているわけではありません。
割と基本的なところから一年かけて網羅していくのですが二浪目にもなると自分が苦手な分野や得意な分野がだいたいわかっています。
苦手な分野に時間を割くためにも授業を受けない選択は正しかったと考えています。
模試でもC判定が出るようになり、成績上位者の張り紙にも載るようになりました。
そうなるとかなりメンタルが安定し、この勉強法であってるという自信にもつながりました。
共通テスト本番は確かに緊張しましたが、場慣れしていたこともあり特に失敗することもなく
初めて勝負できる点数が取れました。
そこからは二次試験と面接
さらに私大の対策を行います。
この話は別で記事にしますが
割と国立の医学部だったらどこでもいいと考えている自分にとって悩んだのは受験校をどこにするかでした。
結局は地元の大学にしましたがハイレベルな医学部受験において受験校の決定は丁寧に決めた方が良いと思います。
そして二次試験当日。この日が最も緊張しました。
受かれば天国落ちれば地獄です。
また地獄みたいな日を送らなければいけないのかと考えると手が震えました。
大きく失敗しなかったので安心しましたが絶対合格だという自信は全くありませんでした。
私大は自治医科大学と国際医療福祉大学と産業医化大学を受験しましたが、国際医療は一次で、自治医科は最終で落ちてしまっていました。
産業医科は一次合格していたので後期は産医に出すことは決めていましたが
合格発表までの10日くらいは生きた心地がしませんでした。
そして合格発表。
コロナの影響で発表がネットのみだったので
リビングで結果が出るまで待っていました。
そして
「あった。」
この瞬間は今でも鮮明に覚えています。
やっと終わった、、そう思いました。
二浪しているとそんな心境になるのです。
これが僕の合格までの道のりでした。
ここまではただの経験談です。
あまり受験生の為になるようなことは書いていません。ですのであくまで読み物として読んでいただいたらありがたいです。
次回以降模試の使い方からオススメ参考書、教科別勉強法などを書いていきます。
ではまた。
一浪目の挫折
今回は受験終了翌日からの浪人生活について記事にします。
翌日の朝には高校の自習室にいました。
仮卒期間に入っているため前期試験が終わると、高校に勉強をしに来る人がほぼいなくなります。
(少なくとも僕の高校はそうでした)
1人自習室で勉強する生活を続け卒業式を迎えます。
それからは予備校の自習室で同じように1人で勉強を続けるのです。
僕は浪人の一年で最も差がつくのがこの時期だと思っています。
何故ならやらない人は医学部志望であっても本当に勉強時間ゼロの日が平気であるからです。
息抜きは必要です。(これも記事にします)
ですが休憩が長いと、また勉強を再開するのに大きな労力が必要なのです。
まぁそれは置いといて、予備校の授業に少しワクワクしていました。
よく予備校講師の話は面白いと聞いていたのでいったいどんな話をするのだろうと期待している自分がいました。
これが自分の首を絞めることになることをその時はまだ知る由もありません。
そんなこんなで始まった予備校生活。
日々の予習と復習、授業に追われていました。
しかし僕はまた大きな失敗をしてしまいます。
それは予備校のテキストとは別に参考書を何冊もやろうとしたことです。
僕はみんなより遅れてるからみんなより勉強しないといけない。その思いから色んな参考書を買い、同時並行でやっていました。
要は自分のキャパ以上のことをやろうとしたのです。毎日12時間勉強を続けていましたが、いろんなものをつまみ食いするような勉強で
成績が伸びるわけがありません。
また授業が夕方まであり、さらにそこから予習復習があるのです。いくら12時間勉強しようが集中力が続くわけでもないのです。
失敗でした。
模試の判定はEから変わらず、最後のセンターも失敗しました。
75%とまたどこにも受からないような点数しか取れませんでした。
これが僕の一浪目です。逆の意味で参考にしてほしいと思い書きましたが、あんまり思い出したくもありません。
次回は二浪目、成功した年、自分の何を変えたのか
そして医学部受験のコツを記事にしたいと思います。
ではまた。
医学部を志してから高校卒業まで
今回は医学部を志してから高校卒業までそして現役での受験の成果と反省点をまとめていきます。
基本的に失敗談です。同じような勉強法をとってる人は軌道修正すべきだと思います。
まぁこんな頭の悪い勉強法取ってる人の方が珍しいとは思いますが、、
先生の衝撃的な一言を食らってから目が覚めた僕が最初に考えたのは、とりあえずみんなに追いつかなきゃということでした。
当時下から数えた方が早かった僕は定期的にある模試でも偏差値35程度。点数にして1科目平均20点くらいでした。
まず一つ目の失敗は、そんな低レベルであったにも関わらず、勉強法を誰にも聞かず、相談せず自己流であったことです。
数学はとりあえず青チャートの問題を解きまくり、物理は公式を丸暗記、英語は単語だけひたすら行い、化学にいたっては要点がまとまった小冊子を丸写しする。
どうでしょう?これの何がいけないか分かるでしょうか??
そうです。頭を一切使ってないのです。
考えるっていう作業を一切しませんでした。
とりあえず丸暗記することって大事ではあります。なぜなら本当にゼロからでしたから。
ですが丸暗記しても頭打ちがきます。英語も精読が出来なければ長文なんて読めないのです。
これもまた記事にしますが勉強にはステップがあります。それを無視して初めから丸暗記しても効率が悪いのですが当時の僕はそこに気づきませんでした。
そんな勉強を続け3年の7月。
最後の高校野球の大会がありました。
高校野球をやり遂げたことは非常に意味のあることでした。ですがだからといって勉強ができるようにはなりません。
そして9月の記述模試で伝説の物理2点を記録しました、、
え?
って思った方も多いと思いますがその通り僕もえ?です。
他の教科もそんなに変わりません。
ここで初めて自分のやり方がおかしかったことに気がつくのです。
そして生まれて初めて頭を使って考えて勉強するようになりました。
そして11月からセンター試験に向けて準備を始めます。
まぁ10月くらいのみんなが二次試験の勉強をしている時の授業もさっぱりわかりませんでした。
悔しいというより虚しい時間でした。
僕は共通テストも受けているので共通テストの対策も記事にします。
そんなこんなでセンターが終わり
(できないなりにけっこー緊張した)
その日のうちに速報を元に採点します。
現役の時は、絶対合格できないことがわかっていたのでどちらかと言うとセンターの点数を伸ばすことを意識していました。
結果70%
国語と英語で8割取れ、理数がそれぞれ6割くらいでした。
もちろんこんな成績じゃ、医学部など通りません。
しかし足切りがない大学であれば面接は受けさせてもらえます。
それからは次の年に向けた基礎固めと高校の先生とマンツーマンで面接対策を行いました。
(面接対策や志望理由書の書き方も記事にします)
ここでひとつ、面接や志望理由書を舐めてはいけません。
医学部受験生のレベルはかなり高く、面接の点で後悔することもあることを知っておいてください。
実際僕の友人は二次試験の点数は充分だったのに面接点が周りの人より15点低く落ちてしまいました。
それだけ医学部を一般で通ろうとすると厳しい世界なのです。
志望理由からその大学じゃないとダメな理由。さらに予想される質問を30個ほど用意し完璧に答えられるように何度も練習しました。
ありのままの自分を出せば面接官は分かってくれるなんてよくネットで書かれていますが、あれは嘘です。
面接の15分から20分くらいは完璧な学生を演じなければなりません。実際僕は去年の面接で9割の点数を勝ち取り、他の受験生と点数にして30点ほどリードすることができました。
受験前日から当日までの過ごし方もまた記事にする予定ですが、面接前はとにかく緊張しました。
高校野球の最後の大会と同じくらい緊張しました。
試験が終了し、帰りの車で1年間の勉強を反省しながら僕の現役の受験生活は終了することになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。次回は受験翌日から一浪目の最後まで書きたいと思います。
ではまた。
怠惰だった僕が医学部受験を志した理由
何者だ!?と思われている方も多いと思いますので自己紹介したいと思います。
かなり長くなるとは思いますが、、
現在九州の国立医学部に通っており、4月から二年生になります。
父親はサラリーマンの一般的な家庭ですが母親が教育熱心で、、
かなりのバトルを繰り広げたのはまた別の記事で書きますね(笑)
ですが医学部生となった今では凄く感謝しています。
小学生の頃から野球を続け、高校野球まで本気でやりました。
(大学生になったいまでも続けてます笑)
中学は中高一貫校で母親に怒鳴られながら直前2周間勉強した結果、奇跡が起こり合格しました。
受かったのはいいものの昔から楽天的な僕はそこから一切勉強しなくなります。
宿題もせず、野球ばっかり。土日も午前中の練習が終われば、午後から遊びに出るという鬼のようなハードスケジュールを続けていました。
そんな生活を続けて、いつのまにか学年でワースト10の常連になってしまいました。
ですが当の本人は、生まれ持ったスーパーポジティブ精神でなんとかなるやろくらい思っていました、、
高校生になってもその精神は変わりません。さらに高校野球を懸命にやっていた僕は
平日は8時まで、土日も練習試合や遠征で疲れたことを言い訳にしてペンを握ることを拒否してました。。。
医学部受験生なら分かると思いますが医学部の推薦って評定平均が4,3以上ないと受験資格すらないんです。別の記事で書きますが、医学部受験において僕が思う最短ルートは推薦だと思います。
そのルートを放棄した自分を浪人期はどれほど恨んだことか、、
高校一年生の頃は工学系の仕事に興味のなかったため、医療系の非医学部を志望していました。
いつの間にか学年300人近くいる高校で280番くらいになっていました。
でも心のどこかで人の命を救う医者という職業に憧れがあったのだと思います。
でもこんな成績じゃ行けるわけないし、医学部に受かる人は中学から真面目に勉強を積み上げた人だろって半ばあきらめていました。
怠惰だった自分を救ってくれたのは、ある英語教師の一言でした。
高校2年生の冬。英語のクラス分けで下のクラスだった僕は、もちろん文法など一ミリも分かるわけなくぼーっと時がすぎるのを待っていました。みんなそんな感じだったと思います。
授業がおわる直前、その教師が
「君たちには夢があるかい?僕は教員採用試験を10年受け続けて教師という夢を叶えた。まだ17の君たちが夢を諦めるには早すぎるんじゃないか?」
と僕の気持ちを見透かしているかのような言葉は僕のこころにぐさっと刺さりました。
家に帰った僕は母親に
「医学部に行きたい」
これが僕が医学部を志すまでの物語です。
長くなったので医学部受験を決めてからの物語は別の記事にしますね。
ではまた~